大学のファッションテック研究:テキスタイルとファッションの未来について

大学のファッションテック研究:共同研究、展示会への続き

Fabcell(ファブセル)、布版の画素

自分のオリジナルな服が超簡単にできたらいいなと夢見て、2005年頃に開発したこのテキスタイル。 色を電子制御できて、黒から赤、緑、青とテキスタイルの表面の色が変化していく。特定の色に変化させたり、徐々に色が変化する動きのある模様もできる。

当時は温度で色が変わるインクしか扱えなかったけれど、そのなかでもできる範囲でつくってみた。液晶ディスプレイやLED、プロジェクションマッピングにはない、独特の色彩変化や柔らかさを持っててね。ファッションやインテリアでの新しい見せ方ができると思ったんだ。

自分の服が、好みにあわせて色や模様を変えられたら素敵だよね!

もちろん服だけでなくインテリアにも。

KERIDO Partition 色や模様を変えられるパーティション
 ユーザーが自分の好みや気分によって模様を変化させることができるパーティション。 ソフトウェア上で色を選択し、 実際のパーティションに反映したり、 さらに、自分でデザインした模様をネットで共有する事もできる。
KERIDO-bamboo 竹のような模様が徐々に変化していくファブリックボード
SMAAD Surface

色をコントロールできるテキスタイルの進化は、ファッションもインテリアも、大きな業界再編成と再構築が行われるだろう。いわゆる”カラーバリエーションモデル”は機能しなくなるかもしれない。であれば、形や質感のバリエーションだったら大丈夫なのか…?

残念ながら、形も質感さえもプログラミング制御可能なテキスタイルが”スマートマテリアル”として、少なくともアカデミックな世界では盛んに研究されつつある。

テキスタイルとファッションの未来の話をしよう

2008年の修士論文「Fabcell:
ファッションにおけるパーソナルファブリケーションのための変色性テキスタイル」として纏めながら、これからのファッションについて考えたこと。

個の時代のファッション、誰もがデザイナーになれる時代

服って実際に着る人が最終的に”着こなして”初めて完成と思うのですよね。人の数だけ、スタイルやコーディネーションがあり、それだけファッションのバリエーションが存在する。

色が無数にあるなか、色・テイストを絞らなくては、大量生産ができず、そのためのトレンドというものも存在した。かつては雑誌やトレンドセッターが流行発信源だったが、最近はSNSを介したインフルエンサーも登場し、かなり多様的になってきた。究極的には、自分の欲しい服を自分で作る、パーソナルなファッションに向かっていくだろう。

ファッションなどのアイテム画像を画面上でコラージュできるオンラインサービス、POLYVOREというものがある。かなりの数のコーディネートをアップしているが、つくづく思った!何万のアイテムを扱えるにもかかわらず、やっぱり既成アイテムの組み合わせは微妙に色味が合わないんだよね。特に単色コーデは結構時間かかってる。

試行錯誤で組み合わせてバチッとキマった!的なコーディネートの楽しさもあるけど、理想を追い求めると、色ソートしてもかなり大変(笑)。テイストがあいそうなものを一生懸命探すんじゃなくて、そもそも服の模様や色味が画像処理ソフト的にコントロールできたらと思っているし、技術的にもその方向に向かっていくだろう。

考えてみれば体型のS/M/Lだって大量生産向けの規格だし、それは個人の感覚=ファッションセンスも同様。自分の本当の好みの模様の調整は、個人でできたらいい。少なくともカスタマイズレベルのデザインの敷居は格段に下がっていくだろうし、こうやって個の時代のファッションセンスが発展するのだと思う。

ポスト・ミレニアル世代のファッションセンス?動画的コーディネーション

模様が動画のように変わるテキスタイルや服も、少なくともアカデミックレベルでは研究が進みはじめていて、実際にLEDで色がギラギラかわる服を作ってみたりはしたのだけど。

大学のファッションテック研究:ウェアラブルコンピューティングとファッション表現

ショーのような舞台上の服はアリとは思うが、一般の服レベルでは、どうなんだろね?少なくとも私は、目の前の人の服の柄が変わったりするとこの人誰だっけ?って思うし、酔いそうだからちょっとやめてほしいかもな。

しかし、幼い頃から動画慣れしているポスト・ミレニアル世代は、カッコイイ、意外とイケるとも言い出しかねないのですよね(笑)。特定の色幅に限れば、ダイナミックに色が変わる動画的なコーディネーションは可能になるはず。幼い頃からiPad育児、動画漬けの娘がどう思うか、興味深いところではある。

スマホの進化系としての着物

個人的に期待しているのが着物の進化だ。長襦袢、長着、帯、帯揚げ、帯締めとまったく同じ形のフォーマット。素材違いの楽しみ方はあるにしても、基本的には各パーツの色の組み合わせ。

私は身長デカイので尚更なんだけど、一枚だけ完全オーダーメードの自分の体型にぴったりの着物があって、自由に柄や色を変えられたら、色々な楽しみ方ができると思うのね。

衣紋かけにかけられた着物や帯の柄を、気分やTPOにあわせてネットからダウンロードする。これはHIROKO KOSHINOの創作着物シリーズなんだけど「あ、新作の模様が出た!この赤いやつダウンロードして着てみよ」みたいな。

帯の柄出しがうまくいかなくても、わざわざ帯を巻直すことなく、鏡見ながらスマホで柄の位置調整できたら最高よね!

極論を言えば、着物はスマホの進化系に見えてこないだろうか?元祖スマホ、iPhoneを産み出したAppleは、自動運転クルマの次にiKIMONOに着手するに違いない。

いや、ここはさすがに日本の企業に頑張ってもらいたいと切に願う。ノリで2ch着物を作ったがこれを着るセンスも勇気も皆無ということは強調しておくとして(笑)、着物=和なイメージがあるけど、もっと幅広くていいはず。自分の体型に完璧にあった一枚で無限のカラーバリエーション、無限の模様。

これは、とある着物ブランドで、10年前くらいになるが、銀座の夜景など、写真を使った帯を展開しているシリーズを見て感動した。伝統的な和柄もいいが、イベントごとに着物や帯を自分で作って着れたら素敵だと思う。

それと昔、青山の骨董の店で偶然見かけた大正時代の着物があった。衝撃だったのが、なんと柄が戦闘飛行機でね。考えてみれば、洋装化の歴史なんてちょっと前の話。普段着としての着物は、時代を反映するTシャツ的な感覚だったのかと。

オープンソースファッション

ちょうど2005年頃かな?ものづくりが個人レベルで可能になるという”パーソナル・ファブリケーション”という概念に非常に感銘を受けたのですよね。情報化やデジタル技術によって、自分の欲しいものを自分で簡単に作れるというライフスタイル。

ヒントは、商業経済が一般化していない時代にあると思っている。その昔、自分の着る服を普通に自分で作っていた、というより作らざるを得なかった時代があった。自分や家族のために、糸を紡いで織るところからスタートして着物を作っていた。過去に織った柄の布の切れを紙に張りつけたスクラップブック、”縞帳(しまちょう)”というものが存在したらしい。独特の織り記号で織り方が記述され、先祖代々受け継いできたものもあるとか。

農作業の閑散期、それも炊事、洗濯の合間に、少しずつ織って反物にという感じだったのだろう。家電も皆無の中、当然”ファッションセンス”に注力できる暇はなかったはずで、それでも日頃の家事仕事が一息つく”女正月”にバザーが開かれ、布切れを交換する風習があったようだ。

各自織った布の端きれを交換し、技術を教え合い、縞帳に貼って次に織る際の参考にしたという。服=誰かがデザインした服を着て買うもの、というライフスタイルが当たり前になっている現代では想像もしがたくて、縞帳を知ったときは、さくっと買うことができた現代に生まれたことを猛烈に感謝した(笑)。

ファッションにおけるパーソナル・ファブリケーションの最大の鍵は、3Dプリンタ以上に、デジタル情報を持つテキスタイルだ。服作りの軌跡や作り方の情報を持つWiki、あるいはGit(バージョン管理システム)的機能を持つデジタル版縞帳ができないだろうか。

この映像の中に出てくる黒のベースとなるテキスタイルにも導電性繊維が混在しており、布同士の接合部分の位置情報がとれる。さらにその上の色の変わるFabcellの配置情報、色情報もデータとしてテキスタイル上に保持される。

服作りの制作プロセス情報がデジタルでシェアされて、ファッションデザイン全体の創造プロセスが発展できればと考えた。言うならばオープンソースファッション。

気に入った服のデザインの情報をダウンロードして、 その服をデータを参照しながらさらに自分のオリジナルな服を作る。その服のデータを自由に改良したり、再配布したりして自分で好みの服が簡単にできるようなライフスタイルが実現できたらいい。ネット上でデータのやりとりが可能になるFML(Fashion Markup Language)のような汎用言語も開発されるはずだ。

WEBやソフトウェアの世界で、ゆっくりとではあるが着実に発展しつつあるオープンソースの世界。コンピュータの画面の中で起こることは数年後、必ず現実世界に起こるはずで、ファッションも例外ではないと思う。

個人的な経験に基づく未来に関する予測だが、それほどSFめいた話でもないとも思っている。

続き、世界初の布型ピクセルと10年前見えてしまった景色