八瀬へ。神社仏閣マーケティングと祟り神と。

昨年12月に京都に行った際に、ちょうど紅葉時期だからと話題の瑠璃光院(るりこういん)目当てに八瀬方面に行ったんです。

京都を代表するザ・インスタ映え名所。寺前に15分も(休日は数時間待ちとか…!)並んで入るとなるほど、景色を反射しているのは寺の廊下かと思いきや、撮影用?テーブルだったんですね〜。撮影に群がる人々の熱気に押し出されややお疲れのところ、ここぞということろでお茶が出て、お土産屋さんの見事な配置、その他の撮影ポイント設置と、なかなかの拝観料と。神社仏閣の中でもここまでブランディング、マーケティング、オモテナシが完成されているのって凄いって感心した。

次に、今年は戸隠、箱根ほか不思議と縁あり訪れた「九(頭)竜」の名のつく神社が八瀬にもあり行くことに。到着すると参拝客が神社周りを謎にグルグルまわっていて…独自の参拝方法らしいです。神社自体も比較的最近建てられ、参拝方法をはじめ、色々なところに独自色を感じられ…廻るのはなんか滑稽だからいーや、と思って出てきたのですが笑

奥宮は一面紅葉絨毯で幻想的

瑠璃光院は、京都の拝観料として適正と思いますし、九頭竜大社、新しい神社の新しい試み、揶揄するわけではないのですが、神社仏閣マーケティングに思いを巡らしつつ、チャリで高野川に沿って下っていて。

だからこそだと思うのですが途中、まるで逆の奥まった雰囲気の神社が見え、思わずチャリを止めた。うわっ…何、この佇まい…むしろ気安く来んな的な?無性に気になる!近づいて見えてきた「崇」の字が入った鳥居。

ああ、おそらくこれは…怨霊系!

というのも…諡(おくりな)、つまり死後につけれられた名ですね、過去歴代「崇」の字のつく数人の天皇はもれなく”鎮魂すべき祟り神”として祀られていることは知っていて。崇(す)と祟(たたり)の漢字が別字にしてまるで似ているのも意味があるとか。確かにこのあたりは、京都の鬼門に位置する。

薄暗い参道を抜け、二の鳥居あたり。

昼なのに社務所らしきものも閉まり誰一人いない、薄暗い参道を歩いて進むと同時に、背中が凍りつき鳥肌が立った。奥へ進むとやはり…!天照系、出雲系、そして地元の神社とその他色々な神々で、ガッチガチに鎮魂?押さえつけている…ように感じました。神社の裏山付近には、遣隋使…今や想像もつかないですが、”100%風まかせ”航行で海外へ行って戻った小野妹子一族を祀る神社もあって。

思わず手をあわせた。「こんなオナゴが一人で東京から新幹線とシェアチャリとGoogleマップを駆使して数時間で色々なとこ行って、これから抹茶パフェをしっかり食べて、京都山奥の瞑想合宿に行きます。(しかも2回目です。)疫病もなく飛行機も飛びかいネットもある現代、なんてなんって幸せな時代に生まれたのでしょうか…。」

と先人の礎に感謝したのですが、その感謝の仕方に、なかなか言葉にできない違和感がずっとあってですね。ちなみに「オナゴ」もバリバリ違和感ですね!ミドルサーティーン、大年増だわ(笑)。

御蔭神社もよかった…まだコロナもない平穏な頃

「昔に比べて今はこんなに幸せ」というのは、なかなかに傲慢な考えかもしれないと思いました。意外とどんなときも激動とも言えるし、穏やかさや平穏を見い出すのも、それを含めてまるっと幸せを感じ取るのも結局その人と心の在り方次第。現代にむけて直線的に”進歩している感”をとっぱらって、歴史、文化、テクノロジー、環境や在り方も、もっともっと対等の意識で学びたい。奈良〜平安時代の疫病を彷彿とさせるコロナの出現によって新たに思いました。

後に調べてみると…この「崇道神社」、当時の国家プロジェクト、長岡京建設の責任者、藤原種継が暗殺された際の首謀者とされ、無実を訴え絶食死した早良親王(さわらのしんのう)を祀ったという。早良親王の死後、都に疫病が蔓延し、天皇近親者が次々奇怪な死をとげたのをきっかけに「崇道天皇」の名をおくって祀り、祟りを避けようとしました。京都最大の魔所とも言われるようで、確かに戦慄の雰囲気も感じつつ、しかし鳥居の看板に書かれた「崇導神社」とあえて意図して変えたであろう「導」の字に不思議と温かみを感じられもした。八瀬にいらした際は、瑠璃光院とのギャップを是非。